2017年6月14日 (水)

AIと仏教

 今日、AIについて仏教講座の中でお話する機会がありました。
 AIというのは、ともかく何でも吸収してしまうものである、情報量もすごいものである、将来は、個性までも持つことになるだろうということでした。
 そうであろと思います。
 しかしながら、仏教という観点からすれば、人間とはとても大きな違いがあります。
 それが業の問題です。
 人間は業をもっています。そのために輪廻すると仏教では言います。
 ですから人間をAIは作ることができません。業を無視しているからです。
 他の側面から見れば、あるいはこちらが主題になるかもしれませんが、将来高度なAIが作られる場合には、業を保存する場所を作ってほしいのです。
 善因善果、悪因悪果の法則を、AIに覚えさせるのです。
 それによってAIの暴走が止まる、仮に自分で業保存装置を解除するようになったとしても、人間は人間的な努力として、AIに業保存機能を付けてもらいないのです。
 そうして初めてAIが受け入れられると思います。
 少し空想が先走りに過ぎたかもしれませんが。

2017年5月29日 (月)

御朱印

 最近は、御朱印をいただきに来られる方の数が増えています。
 留守をしているときに来られている方が、おられかもしれません。
 そのお寺なり神社の方が気持ちを込められることによって、朱印帳は新しい価値が加えられます。
 それは生きている方のためでもあり、ご先祖様のためである場合もあります。
 悪い風習であるとは決して思えません。
 

2017年5月 6日 (土)

藤の季節

 近くに住んでいながら、藤で有名なフラワーパークに行く機会がなく、この前、初めて参りました。
 花は見事で、文字通りの花の園の様相でした。
 人も多く、東京の道路にも思えるほどでもありました。
 藤自体は、八重のものがあったり、白いものがあったりと、種類の多くあるのを知りましたが、他の名前を知らない、無知ゆえに知らない花も多く咲いておりました。

 家に帰ってまいりまして、ふと木をみますと、どこかで見た同じ色が。藤が木をはい登って、十メートル以上の木に巻きついています。
 クリスマスツリーを飾るように、藤が木を飾っております。
 これはこれで、何とも美しいものです。
 誰にも知られることがなくても、美しく木を飾り咲く、藤にひと時心を奪われました。

2017年4月25日 (火)

フクロウが

 今日でもう、何夜目でしょうか。
 毎晩、午前ゼロ時を過ぎますと、窓の外でみみずくが鳴きます。
 真っ暗闇の中で、ひそかに鳴く声を聞きますと、確かに知性を読み取ることもでき、フクロウというか、みみずくというかよくわかりませんが、学問の神として考えられたのも納得できます。
 この音のしない夜に、何をかの者は訴えたいのでしょう。
 私たちのできるのは、平和を祈ることのみです。
 

2017年4月 1日 (土)

花はいつ

 四月に暦は変わりましたが、気温は低いままです。
 桜にしても、まだつぼみを開く気配はありません。
 しかし、所用で三鴨山のそばを通りましたら、慈覚大師円仁様の誕生地の上に、桜が満開になっています。
 遠方ですから確認はできませんが、おそらく桜であろうと思われます。
 距離としては大慈寺から遠くはありませんが、場所によっては開花している土地もあるのでしょう。
 大慈寺の境内では梅がまだ盛のままです。
 自然は萌え出す直前で、息を潜めています。
 もう少したてば、生き物の活動する文字通りの春となることでしょう。

2016年12月31日 (土)

新春祈願のご案内

 本日大晦日。一年の区切りの日となりました。
 さて、来年2017年の元旦より五日まで大慈寺におきまして、新春護摩法要をいたします。
 昼間の時間帯です。
 

 また、一月九日には、11時より屋外にて護摩法要をいたします。
 慈覚大師円仁忌の日でもあります。
 ご参拝の方々には、住職が錫杖にて御加持をいたします。
 ご縁のある方はどうぞおまいりくださり、家内安全などのご祈願をされてください。

 さて来年も、皆様によき一年がお迎えになられますことをご祈念申し上げます。

2016年11月26日 (土)

自然の中で止観

 今日は、NPO法人の行事として、山の上で一般の方に止観をしていただきました。
 止観とは天台の用語で、座禅という方が知られているかもしれません。
 小野寺のとある山の上。
 参加者の方々にご説明をして、そして座っていただきました。
 
 
 内容はともかく、雪がちらほら残る晩秋の自然の中で、もしや世尊もこのようにしていたのであろうとふと思いがよぎり、もう一度、生活を見直すきっかけとなりました。
 私たちの行くべき方向性は一つであるはずです。

2016年9月13日 (火)

最後の言葉を聞く

 多くのホスピスなどを訪問された今出川大僧正から、面白いお話をお聞きしました。
 人間がなくなる前に、言い残したいことがある場合、その言葉を聞くにはどうすればいいか。
 それは、手を握って脈拍を感じあい、目を合わせて、そして呼吸を合わせるのだそうです。
 そうすれば、言いたいことを話してくれるのだそうです。
 人間の本質をついた、含蓄あるお話と記録させていただきました。

2016年9月 9日 (金)

天災続きにあたり

 台風が来たと思えば大雨、さらに地震が来たり、今、日本には天災が続いています。
 被災の方々にお見舞いするのは当然ですが、我我宗教に関係する者は、天災が少しでも少なくなるように祈るものです。
 また、被災して亡くなられた方々のご供養の気持ちを持つのも当然のことです。
 祈って台風の進路が変わるとか、地震が起こらないとか、そんなことはありえない、という方々がおられるのも十分承知しております。
 そうであっても、微力だとしても、かりに徒労であったとしても、その気持ちをなくしてしまったならば、もはや宗教家ではありません。
 そういう戒めを自分に課しつつお勤めしております。 
 とはいえ、目の前に容赦なく降る雨に、呆然としてしまうことがあるのも事実です。

2016年8月 2日 (火)

人様のためになさる人

 私たちはエゴが強い場合、自分のため、自分の利益のため、あるいは自分の家族や一族のためになることでしたら、頭を下げてお願いすることがあります。
 しかしながら、それが仕事であっても、あるいはお金をもらわない場合でも、他人のために頭を下げるという行為は貴いものです。
 他人様のために頭をさげている姿を見ると、大きな感動がやってきます。
 そういう方は、自らの罪障を少しでも消しておられるのだと思います。
 宗教をしていない方であっても、そういう方々は貴いものです。

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